大坂靖彦とは
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Profile
大坂 靖彦

大坂 靖彦
- 非営利株式会社ビッグ・エスインターナショナル代表取締役/大坂塾塾長
- ケーズデンキ(株)元常務取締役 (株)ビッグ・エス元代表取締役
- 上智大学・香川大学元非常勤講師 松下幸之助経営塾元講師
- 東京大学国際オープンイノベーション機構元共同研究員
- ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章
略歴
ヒストリー
1944年4月4日 誕生
1951年 - 7歳
さぬき市長尾小
1957年 - 13歳
大手前中・高
1963年 - 19歳
上智大学
1965年 - 21歳
海外雄飛
1968年 - 24歳
松下電器入社・ドイツ駐在
1972年 - 28歳
大坂屋(年商7,000万)
1975年 - 31歳
上智デンキ(年商2億)
1983年 - 39歳
マツヤデンキ(年商7億)
1993年 - 49歳
ビッグ・エス(年商35億)
1995年 - 51歳
ケーズデンキ(年商80億)
1999年 - 55歳
年商100億
100億達成を機に2000年より社会貢献活動スタート
・第1回ドイツ語スピーチコンテスト開催
・2001年第1回ドイツ国際平和村募金贈呈式実施
2005年 - 61歳
事業統合(年商248億)
2007年 - 63歳
非営利株式会社BSI(年商298億)
2009年 - 65歳
リタイア(年商399億)
・第1回日本語スピーチコンテスト開催(於ドイツ国ハンブルク市)
・第1回作文コンテスト(日本/ドイツ)実施
2010年 - 66歳
大坂塾1期(全国20名)
2011年 - 67歳
大坂塾2期(全国20名)
2012年 - 68歳
大坂塾3期(全国44名)
・中小企業経営塾(全国合計84名)
・日独150周年記念事業「日独友好賞」をドイツ・ボッシュ財団と共同企画
・講演活動(学校・企業・団体)
・第10回ドイツ語スピーチ・作文コンテスト(日本)
・第7回ドイツ国際平和村募金贈呈式実施
2013年 - 69歳
大坂塾4期(全国82名)
・大坂塾 / 大阪・名古屋会場新規開講
・日本語スピーチコンテスト(在ドイツ日本大使館と共催)
・ドイツボランティア旅行
・上智大学ドイツ語スピーチコンテスト支援
2014年 - 70歳
大坂塾5期(全国105名)
2015年 - 71歳
大坂塾6期(全国109名)
2016年 - 72歳
大坂塾7期(全国140名)
・大坂塾マスターコース開始
2017年 - 73歳
大坂塾8期(全国85名)
・大坂塾グループアドバイザーコース開始
・ドリームシッププログラム開催(岐阜県関市)
2018年 - 74歳
大坂塾9期(全国72名)
・ドリームシッププログラム開催(高松市、ベルリン市)
2019年 - 75歳
大坂塾10期(全国50名)
・ドリームシッププログラム開催(八王子市、ハンブルク市、有明)
2020年 - 76歳
大坂塾11期(全国63名)
2021年 - 77歳
大坂塾12期(全国114名)+
読書の会 新設(開始時106名)
・大坂塾1年目コース終了
2022年 - 78歳
大坂塾13期(全国189名)
・大坂塾2年目コース・マスターコース終了(以降、グループアドバイザーコースと個別顧問契約に)
2023年 - 79歳
大坂塾14期(全国97名)
2024年 - 80歳
大坂塾15期(全国81名)
2025年 - 81歳
大坂塾16期(全国83名)
2036年4月4日 没(享年92歳)※予定
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第1章大坂靖彦誕生
昭和19年、太平洋戦争中に浜松市で生まれるも、幼少期の記憶はほとんどない。父の勤務先が空襲で焼かれ、母の故郷・香川県長尾町へ移住したためだ。無線技士の父は商売には無頓着ながら技術に没頭し、手作りのテープレコーダーに全国から注文が殺到するほどの腕を持っていた。
詳しく見る第2章弱者の戦略、ドイツとの出会い
上智大学を目指し、英語ではなくドイツ語で受験。資金がなくても夢を諦めず、ヒッチハイクでのヨーロッパ巡りを断行。旅の途中で強制送還の危機に直面しながらも、現地の新聞に自分を売り込み、ヒッチハイクを成功させる。そこでの出会いが後のドイツワイン輸入にも繋がっていく。
詳しく見る第3章松下電器でのドイツ駐在
ヒッチハイク経験が評価され松下電器へ入社後、海外勤務を求め西ドイツへ。そこで出会った人生の師・佐久間昇二氏のもと厳しい指導を受けながら成長。充実した駐在生活の一方、自分の限界を痛感し、家業を継ぐと決断。だが待っていたのは想像を超える地獄の日々だった。
詳しく見る第4章香川の家業の家電店での再出発
電機商業組合の猛反対を受けながらも新店舗の出店を実現。しかし開店直後、店名を理由に営業停止を余儀なくされる。それでも社員たちは活気を失わず、研修や訪問営業に励む姿が周囲を驚かせた。その後松下電器からの脱退を決断し、家電量販店との競争に挑んでいく──。
詳しく見る第5章マツヤデンキチェーンでの躍進
会社が大進撃を続けていく中、脳腫瘍が判明。緊急手術を前に遺書を準備し、社員に会社を託す。手術は成功し「一度は死んだ身」として経営に邁進。小売業界の変化を予見しマツヤデンキのFCを脱退。新たな道を模索するも、銀行から融資を断られ倒産の危機に直面する。
詳しく見る第6章ぜい変、ケーズデンキと提携へ
ケーズデンキとの提携により、売上は2年で倍増。店舗拡大の余地が広がり、業績は順調に成長した。ヤマダデンキの出店で苦境に立たされるも、経費削減と社員育成で反転攻勢に成功。会社の仕組みづくりや利益を生む体質づくり、社員が社員を育てる社風づくりに繋がった。
詳しく見る第7章リタイヤ後の第二の人生の始まり
第二の故郷であるドイツへの恩返しとして、日独交流を深める活動を続け、ドイツ語スピーチコンテストなどを通じて両国の理解を促進。リタイア後は経営塾「大坂塾」を開講。12年間で1000社以上の経営者に実践的な知識を伝え、後進の育成に力を注いでいる。
詳しく見る大坂靖彦の土台

弱者の戦略
「弱者の戦略」とは、生まれや環境、能力などの制約を抱える「弱者」が、独自の工夫や戦略を駆使し、強者に勝る成果を上げる方法です。環境に適応し続けることで、自らを進化させ、弱者こそが成功を掴むことができます。
弱者の戦略について
蛻変(ぜいへん)
過去の成功や安定にとらわれず、自らを常に変化させ続けることで、新たなステージへと成長していく考え方です。脱皮のように挑戦と適応を繰り返し、進化し続けることで、大きな成果を生み出します。
蛻変(ぜいへん)について