大坂靖彦とは

Scroll

Profile

大坂 靖彦

大坂 靖彦

  • 非営利株式会社ビッグ・エスインターナショナル代表取締役/大坂塾塾長
  • ケーズデンキ(株)元常務取締役 (株)ビッグ・エス元代表取締役
  • 上智大学・香川大学元非常勤講師 松下幸之助経営塾元講師
  • 東京大学国際オープンイノベーション機構元共同研究員
  • ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章

略歴

香川県大手前高校卒。 上智大学在学中24ヶ国をヒッチハイクで無銭旅行。 海外で活躍するビジネスマンを目指し、パナソニック入社(ドイツ駐在)。 挫折して従業員3人、年商7000万円の家業の家電小売店に入社。

売れない訪問販売の毎日から、経営者として成功することを目指し自社の経営改革に乗り出す。 ナショナルショップ店、政府認定ボランタリーチェーン四日電、マツヤデンキ、カトーデンキ販売(現ケーズデンキ)と弱者の戦略で時代の先を読みパートナーを変えながら都度ステージを大きく変えた。従業員800名、年商339億円の企業に成長させる。

2010年全ての役職をリタイヤ後、自身の全ノウハウを次世代の中小企業経営者に伝授すべく始めた経営塾・大坂塾は、現在までに900社が学ぶ。 夢・志を掲げ、その実現のために、妄想し、ひたすらシミュレーションを重ねて細部まで綿密な計画の上実行する。 自らが実践し成果を出してきたメソッドをあまさず伝授し、経営者たちの成長を阻む棘を一つ一つ抜く指導により、多くの経営者が結果を出している。

​若者への人生戦略の考え方を伝える『若者未来塾』、小中学生向け『ドリームシッププログラム』も精力的に開催している。 全国での経営者向け講演会は10年間で動員数10000人、コンサル実績1000回。

Back

ヒストリー

1944年4月4日 誕生

1951年 - 7歳

さぬき市長尾小

1957年 - 13歳

大手前中・高

1963年 - 19歳

上智大学

1965年 - 21歳

海外雄飛

1968年 - 24歳

松下電器入社・ドイツ駐在

1972年 - 28歳

大坂屋(年商7,000万)

1975年 - 31歳

上智デンキ(年商2億)

1983年 - 39歳

マツヤデンキ(年商7億)

1993年 - 49歳

ビッグ・エス(年商35億)

1995年 - 51歳

ケーズデンキ(年商80億)

1999年 - 55歳

年商100億

100億達成を機に2000年より社会貢献活動スタート

・第1回ドイツ語スピーチコンテスト開催

・2001年第1回ドイツ国際平和村募金贈呈式実施

2005年 - 61歳

事業統合(年商248億)

2007年 - 63歳

非営利株式会社BSI(年商298億)

2009年 - 65歳

リタイア(年商399億)

・第1回日本語スピーチコンテスト開催(於ドイツ国ハンブルク市)

・第1回作文コンテスト(日本/ドイツ)実施

2010年 - 66歳

大坂塾1期(全国20名)

2011年 - 67歳

大坂塾2期(全国20名)

2012年 - 68歳

大坂塾3期(全国44名)

・中小企業経営塾(全国合計84名)

・日独150周年記念事業「日独友好賞」をドイツ・ボッシュ財団と共同企画

・講演活動(学校・企業・団体)

・第10回ドイツ語スピーチ・作文コンテスト(日本)

・第7回ドイツ国際平和村募金贈呈式実施

2013年 - 69歳

大坂塾4期(全国82名)

・大坂塾 / 大阪・名古屋会場新規開講

・日本語スピーチコンテスト(在ドイツ日本大使館と共催)

・ドイツボランティア旅行

・上智大学ドイツ語スピーチコンテスト支援

2014年 - 70歳

大坂塾5期(全国105名)

2015年 - 71歳

大坂塾6期(全国109名)

2016年 - 72歳

大坂塾7期(全国140名)

・大坂塾マスターコース開始

2017年 - 73歳

大坂塾8期(全国85名)

・大坂塾グループアドバイザーコース開始

・ドリームシッププログラム開催(岐阜県関市)

2018年 - 74歳

大坂塾9期(全国72名)

・ドリームシッププログラム開催(高松市、ベルリン市)

2019年 - 75歳

大坂塾10期(全国50名)

・ドリームシッププログラム開催(八王子市、ハンブルク市、有明)

2020年 - 76歳

大坂塾11期(全国63名)

2021年 - 77歳

大坂塾12期(全国114名)+
読書の会 新設(開始時106名)

・大坂塾1年目コース終了

2022年 - 78歳

大坂塾13期(全国189名)

・大坂塾2年目コース・マスターコース終了(以降、グループアドバイザーコースと個別顧問契約に)

2023年 - 79歳

大坂塾14期(全国97名)

2024年 - 80歳

大坂塾15期(全国81名)

2025年 - 81歳

大坂塾16期(全国83名)

2036年4月4日 没(享年92歳)※予定

続きを読む

第1章大坂靖彦誕生

昭和19年、太平洋戦争中に浜松市で生まれるも、幼少期の記憶はほとんどない。父の勤務先が空襲で焼かれ、母の故郷・香川県長尾町へ移住したためだ。無線技士の父は商売には無頓着ながら技術に没頭し、手作りのテープレコーダーに全国から注文が殺到するほどの腕を持っていた。

詳しく見る

第2章弱者の戦略、ドイツとの出会い

上智大学を目指し、英語ではなくドイツ語で受験。資金がなくても夢を諦めず、ヒッチハイクでのヨーロッパ巡りを断行。旅の途中で強制送還の危機に直面しながらも、現地の新聞に自分を売り込み、ヒッチハイクを成功させる。そこでの出会いが後のドイツワイン輸入にも繋がっていく。

詳しく見る

第3章松下電器でのドイツ駐在

ヒッチハイク経験が評価され松下電器へ入社後、海外勤務を求め西ドイツへ。そこで出会った人生の師・佐久間昇二氏のもと厳しい指導を受けながら成長。充実した駐在生活の一方、自分の限界を痛感し、家業を継ぐと決断。だが待っていたのは想像を超える地獄の日々だった。

詳しく見る

第4章香川の家業の家電店での再出発

電機商業組合の猛反対を受けながらも新店舗の出店を実現。しかし開店直後、店名を理由に営業停止を余儀なくされる。それでも社員たちは活気を失わず、研修や訪問営業に励む姿が周囲を驚かせた。その後松下電器からの脱退を決断し、家電量販店との競争に挑んでいく──。

詳しく見る

第5章マツヤデンキチェーンでの躍進

会社が大進撃を続けていく中、脳腫瘍が判明。緊急手術を前に遺書を準備し、社員に会社を託す。手術は成功し「一度は死んだ身」として経営に邁進。小売業界の変化を予見しマツヤデンキのFCを脱退。新たな道を模索するも、銀行から融資を断られ倒産の危機に直面する。

詳しく見る

第6章ぜい変、ケーズデンキと提携へ

ケーズデンキとの提携により、売上は2年で倍増。店舗拡大の余地が広がり、業績は順調に成長した。ヤマダデンキの出店で苦境に立たされるも、経費削減と社員育成で反転攻勢に成功。会社の仕組みづくりや利益を生む体質づくり、社員が社員を育てる社風づくりに繋がった。

詳しく見る

第7章リタイヤ後の第二の人生の始まり

第二の故郷であるドイツへの恩返しとして、日独交流を深める活動を続け、ドイツ語スピーチコンテストなどを通じて両国の理解を促進。リタイア後は経営塾「大坂塾」を開講。12年間で1000社以上の経営者に実践的な知識を伝え、後進の育成に力を注いでいる。

詳しく見る

大坂靖彦の土台

弱者の戦略

「弱者の戦略」とは、生まれや環境、能力などの制約を抱える「弱者」が、独自の工夫や戦略を駆使し、強者に勝る成果を上げる方法です。環境に適応し続けることで、自らを進化させ、弱者こそが成功を掴むことができます。

弱者の戦略について

蛻変(ぜいへん)

過去の成功や安定にとらわれず、自らを常に変化させ続けることで、新たなステージへと成長していく考え方です。脱皮のように挑戦と適応を繰り返し、進化し続けることで、大きな成果を生み出します。

蛻変(ぜいへん)について

人生設計

人生の明確な目的や目標を描き、それを実現するために具体的な計画を立てることが大切です。未来から逆算して行動を決めることで、理想の人生を主体的に築いていく指針となります。

人生設計について